青山 忠講(あおやま ただつぐ)は、江戸時代中期の大名。丹波国篠山藩3代藩主。官位は従五位下・伯耆守。青山家宗家17代。

略歴

明和2年(1765年)10月17日、2代藩主・青山忠高の次男として江戸で誕生した。安永9年(1780年)12月18日、従五位下・伯耆守に叙位・任官する。天明元年(1781年)6月24日、父が病気で隠居したため、家督を継いだ。

しかし在任4年で父に先立って、天明5年(1785年)7月18日に江戸で死去した。享年21。実子がなかったため、同母弟で養子の忠裕が家督を継いだ。

系譜

  • 父:青山忠高(1734年 - 1816年)
  • 母:桂香院 - 鵜飼氏
  • 正室:なし
  • 生母不明の子女
    • 女子:松平信行継室
  • 養子
    • 男子:青山忠裕(1768年 - 1836年) - 青山忠高の三男

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