植松 (うえまつ 、1978年9月10日 - )は、日本の男性総合格闘家。静岡県富士宮市出身。ネクサセンス所属。サンボ初段。柔道参段。ブラジリアン柔術黒帯。一般社団法人日本ブラジリアン柔術連盟(JBJJF)理事・審判部長。一般社団法人日本サンボ連盟理事・強化委員、審判委員長。一般社団法人日本MMA審判機構(JMOC)副会長。
2の10乗を3秒で計算できる知能を持っている。
来歴
高校時代にサンボの大会で頭角を現した。
1997年12月20日、ザ・トーナメント・オブ・J '97 軽量級トーナメント決勝で宇野薫と対戦し、開始23秒アキレス腱固めで一本勝ち。
1998年9月18日、史上最年少(20歳)でプロ修斗デビュー。
2000年9月、朝日昇に判定勝ち。
2001年春、タイでウイルス性急性腸炎を患い生死の境をさまよったが、同年11月26日の修斗での渡辺孝との柔術マッチで復帰を果たした。
2004年3月、ジェンス・パルヴァーにKO負け。2004年6月、門脇に一本勝ち。2005年5月、ギルバート・メレンデスにTKO負け。
2005年7月、世界柔術選手権の茶帯ペナ級に出場。決勝では佐々幸範と初の日本人同士の対決となったが、ポイント0-2で敗退。準優勝となった。
2006年4月15日、グラップリング大会トーナメント・オブ・プロズのスーパーファイトでジェフ・グローバーに勝利したことから世界レベルのグラップラーとして名が知られるようになる。
2006年5月26日、カリフォルニア州で行われたグラップリング大会L.A. SUB-Xでレオナルド・ヴィエイラと対戦。2Rにスリーパーホールドで敗れたが、払い腰でヴィエイラをテイクダウンした。
2006年7月1日、Gladiator Challengeバンタム級(-66kg)王座決定戦でユライア・フェイバーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2007年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。1回戦でハビエル・バスケスに勝利したものの、2回戦で鈴木徹(徹肌ィ郎)に0-5のポイント負けを喫した。
2007年12月15日、第1回世界ノーギ柔術選手権の黒帯ペナ級に出場。1回戦でシェーン・ライスと対戦し、4-8のポイント負け。
2008年4月5日、CAGE FORCE 06でジェームス・ドゥーランと対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。
2008年10月23日、DEEP 38 IMPACTでDJ.taikiと対戦予定であったが、右肩(右腱鎖骨)を負傷し、全治2か月となり試合中止となった。12月10日、DEEP 39 IMPACTで改めてDJ.taikiと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。
戦績
総合格闘技
キックボクシング
グラップリング
柔術
獲得タイトル
- ザ・トーナメント・オブ・J '97 軽量級トーナメント 優勝(1997年)
- 全日本サンボ選手権 シニアの部68kg級 準優勝(1998年)
- 全日本サンボ選手権 シニアの部68kg級 3位(2002年)
- コンバットレスリング 65kg級 優勝(2005年)
- プロ柔術 Gi-06 ペナ級トーナメント 準優勝(2005年)
- 世界柔術選手権 茶帯ペナ級 準優勝(2005年)
- ドゥマウカップ 黒帯無差別級 優勝(2005年)
- デラヒーバ杯 ペナ級 優勝(2006年)
- ADCC JAPAN TRIAL 66kg未満級 優勝(2007年)
- 全日本柔術選手権 黒帯ペナ級 優勝(2007年)
- 全日本サンボ選手権 68kg級 優勝(2008年)
- 東京国際柔術トーナメント 黒帯無差別級 優勝(2010年)
- 東京国際柔術トーナメント 黒帯ペナ級 優勝(2010年)
脚注
関連項目
- 男子総合格闘家一覧
- ブラジリアン柔術家一覧
- プロ修斗選手一覧
外部リンク
- 一般社団法人日本ブラジリアン柔術連盟
- 一般社団法人日本サンボ連盟
- 一般社団法人日本MMA審判機構
- クロスポイント
- パンクラス 選手データ
- ZST 選手データ
- 修斗 選手データ
- バウトレビュー 選手データ
- SHERDOG 選手データ



