陳芸宗(陳藝宗、ちんげいそう、ベトナム語: Trần Nghệ Tông)は、陳朝大越の第9代皇帝。名は陳 暊(ベトナム語:Trần Phủ / 陳暊)、または陳 叔明(ベトナム語:Trần Thúc Minh / 陳叔明)とも。
生涯
第5代皇帝・明宗の三男。即位前は恭定王に封ぜられていた。大定2年(1370年)、暴政を敷いていた婿の楊日礼を廃して即位した。紹慶3年(1372年)、弟の陳曔(睿宗)に譲位して太上皇となった。譲位した後も実権を握り続け、睿宗の死後はその子の陳晛を、後に陳晛を廃して自身の子の陳顒(順宗)を擁立した。
しかし国内では重臣の離反と悪政による反乱が相次ぎ、国外ではチャンパの侵攻を受けることとなる。このような中で芸宗は、重臣の多くを粛清するなどの悪政をさらに繰り広げて、陳朝の衰退を決定的なものにしてしまう。
生母の甥である黎季犛を寵信して重用し、黎季犛もまたその信頼にこたえてよくチャンパを防いだが、芸宗死後の黎季犛はしだいに野心を増し、後の陳朝の滅亡に繋がることになる。
宗室
后妃
- 恵懿夫人(淑徳皇后を追贈された)
- 宸妃黎氏
子女
- 男子:陳頊、簡定帝 陳頠、荘定王 陳𩖃(重光帝の父)、順宗 陳顒
- 女子:陳淑美(天徽公主)、荘徽公主、宣徽公主、紹寧公主、公主(楊日礼の妃)




