林 亜亮(日本語読み:りん ありょう、生年不詳-1947年)、別名・胡鴻洲は、シンガポールの共産主義者で、マラヤ共産党シンガポール地区委員の1人。日本軍占領期間中、マラヤ人民抗日軍のメンバーとして活動し、日本軍に逮捕され死刑を宣告されるが生き残り、英雄視された。1946年2月にデモを煽動して逮捕され服役。1947年8月の釈放直後に死亡し、マラヤ共産党により盛大な葬儀が行われた。
生い立ち
- チョンバルの工商中学校を卒業後、上海、杭州に留学。
戦時中
- 1940年に留学先から戻り、シンガポール陥落まで『星洲日報』に勤務。
- 日本軍占領期間は、マラヤ人民抗日軍の地下活動家となる。
- 日本軍に逮捕される。
- 日本軍に死刑を宣告された。
- 絞首刑執行直前の1944年12月に、日本軍が降伏して釈放された。
戦後
- 戦後、『星洲日報』に復帰。
- 1946年2月15日、シンガポール陥落の恥辱を記念する共産党の集会で、警察の許可を得ずに南京街、ブラスバサー通りおよび大世界でデモを煽動し、集会場に乗り込んだ警察官が参加者と衝突。林は負傷、逮捕され、不法集会煽動、安寧妨害の容疑で懲役2年の刑を宣告された。
- 1947年8月25日に釈放。釈放時には数千人が出迎え、林は花束を贈られて感謝の演説をした。
- その9日後、病院で注射を受けた後に死亡。共産党は当局が林を殺害した、と非難し、林に「英雄」の称号を贈った。
- 1947年8月28日にクロス街の故人の家でマラヤ共産党によって葬儀が盛大に執り行われ、約1万人が参列。棺は「我々の林亜亮を殺したのは誰か。我々は覚えている」と書かれた大きな赤旗で覆われていた。遺骸はブキテマ墓地に葬られた。
脚注
参考文献
- リー, クーンチョイ 著、花野敏彦 訳『南洋華人‐国を求めて』サイマル出版会、1987年。ISBN 4377307339。
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