増田 嘉兵衛(ますだ かへえ、1834年9月17日(天保5年8月15日) - 1920年(大正9年)9月4日)は、日本の商人(貿易商)、実業家。族籍は神奈川県平民。
人物
伊賀上野車坂七面屋敷(現・三重県伊賀市)の赤貧の家に生まれる。平蔵の長男。幼くして父を亡くし、母によって育てられる。1844年、母が亡くなり、嘉兵衛は天涯孤独の身となる。魚の行商を業とする。
猪田屋に奉公する。14歳の春、大坂に出て、海産物問屋榎並屋に住み込む。文久2年、横浜で増田屋をひらき、外国糖の輸入で富をきずく。1869年、横浜為替(横浜銀行の前身)の創立に加わる。
1884年、家督を長男増蔵に譲り、分家して一家を創める。中央倉庫取締役社長、第二銀行、横浜製糖各取締役などをつとめる。
横浜市内の資産家である。1918年4月及び10月、横浜市公設浴場建築費金4万5千円を寄附したため紺綬褒章を下賜される。住所は横浜老松町2丁目。
家族・親族
- 増田家
- 父・平蔵
- 長男・増蔵(1863年 - 1943年、増田屋、砂糖貿易商)
- 同長男・増太郎(1886年 - ?、増田製粉所社長)
- 二男・房次郎(1870年 - 1944年、神奈川、中村初太郎の養子、増田合名会社代表社員)
- 長女・タキ(1868年 - ?、双葉高等女学校幹事兼教師)
- 養孫
- 與一(1880年 - ?、長女・タキの養子、春の夫、増田製粉所取締役)
- 春(1884年 - ?、長女・タキの養子、與一の妻)
- 曽孫
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 『日本紳士録 第16版』交詢社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1919年09月15日』日本マイクロ写真、1919年。
- 大政翼賛会伊賀翼賛文化会編『伊賀翼賛綜合文化展覧会先賢文化人略伝』伊賀翼賛文化会、1942年。




